2010年01月31日

港へ

今日は休みの日だというのに朝5時起き。
眠い目をこすりながらマカッサル一の港ポートレーへ行ってきた。
5年近く住んでるのに船の着く港まで行くのは初めて。
なんで行こうと思い立ったのかというと、日本で買って持って帰ってきた出刃包丁を有効活用するためである。

初めてだったから仕方ないとはいえ、シャツにジーパン、サンダルのスタイルは間違いだった。
アオもユメも長靴履いて来たらよかったーとぶつぶつ文句を言う始末。
完全に私は浮いていた。
周りは魚屋のおっちゃんだらけでごった返してるし、そこらじゅう水浸しでたまらなく生臭かった。
港の魚市場ってそんなもんなんよね、気付くのが遅かった。

それでも普段スーパーでも魚屋でもお目にかかれない魚介類が見れてすごくうれしかった。
マグロやー、タコがある〜、ハマチやー、と市場には出回っていない魚にうっほうほ。
マグロは40センチほどのもので1匹4万ルピア(約400円)、ハマチは1匹5万ルピア(約500円)、やっすぅー。
タコも欲しかったが、たこ焼き機を日本から持ってきていないので、またの機会にすることにした。
そのほか1.5mほどの魚など、見たことの無い魚が数多くあった。
願わくば日本からおさかなくんに来てもらって、いろいろご教授してもらいたい。

偶然親戚のおじさんに会った。

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大量のイカを売っていた。
そういえば7年前におじさんの家におじゃましたときイカを焼いてくれたのだが、イカ売りだったと今日知ったのだった。
ありがたいことにおじさんはお土産だといって、大きなイカ2はいを持たせてくれた。
今度日本からのお土産でももって、7年ぶりにおじさんの家に行っとこう。


さて、家に帰ったらさっそく出刃包丁の出番。

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ハマチとマグロはだんなが3枚におろしてくれ、すべて冷凍庫へ。
冷凍して菌を殺してから刺身で食べようともくろんでいたのだが、だんなに断固反対された。
残念無念。
だんなは日本の寿司は信用しているが、マカッサルの魚は新鮮と言えども信用していないようだ。
お腹痛くなっても知らんで、ギョウチュウでても知らんでと。
しょうがない、炊くなり揚げるなりして食べようか。
寿司や刺身として食べるのが普通のマグロとハマチ。
何にしよう・・・
しばらくクックパッドで検索することにするか。
寿司刺身以外で食べれるマグロとハマチのレシピ、ご存知のかた教えてくださーい。
posted by ubor at 02:01| Comment(8) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月28日

遠足

今日はユメの遠足の日。
クラスずつにわかれて学校所有の送迎車で出発。

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行き先は幼稚園から車で40分ほどのところにある植物園。
着いたらまずは係員の説明を聞きながら植物を見て回る。

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ランブータンがちょうどいい具合に熟れていた。
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こちらはクドンドンという。
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あまり甘くない果物。
生では食べるよりも、漬物風にした酸っぱいのを皆好む。

植物を見て回った後は、併設されている食堂で食事。
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幼稚園から支給されるので、親が朝早くからせっせこお弁当を作らなくて良い。
あ〜楽チン。

その後は小さいプールで泳いで遊んだ。
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ユメは以前プールに行って病気になったことがあるので、不潔な水か、不潔な人はいないか要チェックした。
今回は他のお客さんがおらず貸切状態で、わが幼稚園の子らは全員水着を着ており合格。
全員水着を着ていたのにはかなりびっくりした。
(詳しくは着衣水泳の回クリック参照)

それから釣りができる場所があるのでそこもちょっとのぞきに行って、ぐるっとまわって帰ってきた。
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さて、ここまでで何かおかしいことに気付いただろうか。
遠足に、親である私が同行していることである。
これはうちの幼稚園だけだろうか、いや、そんなことはないと思う。
遠足にしろ社会見学にしろ、親はついていってもいいのだ。
ただし入場料がいるところの場合は前もって幼稚園に同行すると予約して、入場料を払っておく。
あと、親は学校の送迎車には乗らないで、誰かしらの車に乗り合わせて行く。
行きも帰りもママ友同士でおしゃべりしながらとっても楽しかった。
行ってからもママさん連中は子供らよりも楽しんでいた。
いっぱい写真を撮ったのだが、子供らはもちろん、母同士の写真もいっぱい。
みんなでここで写真撮ろうよ、ここでも、ここでも、じゃ、今度はみんなでサングラスかけて撮ろうよ、なんてのもあった。
私は今日はサングラスを忘れてきていたので、「ママユメー(私)、サングラス忘れてきたんかいなー、かっこよくみんなできめたかったのにー」と。
ほんまにもう、心の中で何度も大爆笑。
だってこれ、子供の遠足よねー、親の遠足とちゃうよねー。
おもいっきりポーズ決めて一人で写真撮ってもらってる人もいるし。
おやつどっさり持ってきててこっちきて食べ食べーと言う人もいるし。
もういっぺん言うけど親の遠足とちゃうよねー。
かくいう私もママさん連中の写真がいっぱい。
感化されてしまった。
また来月も遠足があって遊園地に行くのだが、そのときももちろん行くよね、一緒に行こねーと皆が声をかけてくれた。

親同行の遠足は日本人からしたら不思議な感じだが、それはそれでいい点がある。
先生も親がいるからわりと楽できるやろうし。
ぜったいおやつをどっさり持って来る人がいるからおやつ持参しなくてもいいし。
ママさん同士の交流の場でもあるし。
そらみんな仕事休んでくるわ。
もっとインドネシア語を習得したらもっと楽しくおしゃくべりできるやろうなー。
おとなしめの私が私じゃない感じ。
まあでもおしゃべりすることが上達への道でもあるやろうし。
とにかく語彙をもうちょっと増やそう。
来月の遠足、あー楽しみやなー、私が。
posted by ubor at 23:25| Comment(6) | TrackBack(0) | 不思議100選 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月26日

お墓

日本から戻ってきてから、義父のお墓参りに行った。
基本的にイスラムはお墓を作らない。
大きい石を目印代わりにゴロンと置いておくのみ。
しかし、インドネシアでは割とみんなお墓を作っている。
長方形の石の上に名前と亡くなった日が書いたのものがたてられている。
花は束で置いたり生けたりするのではなく、ばらした花びらや葉っぱを墓の上に散らばす。

お葬式の日は慌しくてお墓でじっとしていることはなかったが、もう一度来てみると、周りは親族のお墓だとわかった。
義母も一緒に行ったので、いろいろこれは誰の誰のと教えてくれた。
義父のお墓の隣には義父の姉婿(だんなの伯父)、その隣には義父の甥(だんなのいとこ)の、そこから少し斜めのところに義父の両親(だんなの祖父母)のがあった。
その中で一つえ?と思ったお墓が一つあった。
だんなの伯父のであるが、引っ越してきたらしい。
お墓が引っ越すとはどういうこと?

日本のように骨壷なんかがあればそのまま持ってくればいいが、ここでは土葬である。
まさか掘り起こして??
って、そんなことはさすがにしていなかった。
お墓だけここに引っ越しただけで、実際眠っているのはお葬式をした場所の近くなんだそうな。

そのことで思い出したが、うちの近所にある中国人墓地は借地であるらしい。
賃貸期限が切れたら、そこはバスターミナルになるという噂もある。
けっこう広い霊園風なのだが借地。
やっぱりそれも引っ越すときはお墓のみで、中までは掘り起こさないようだ。
なんか不思議な感じである。
そこにその人は眠っていないのに、花を手向けるということなんよね。
それでもいいのだろうか。
お墓は、残されたもののための、故人の記憶の目印にしか過ぎないのだろうか。
秋川雅史ではないが要は、お墓の前では泣かずに千の風になったんだと理解することにした。
それならお墓が引っ越しても何の不思議もないということだ。
次にお墓参りしたときは、ゆっくりと風を感じてみようと思う。
posted by ubor at 23:23| Comment(5) | TrackBack(0) | 不思議100選 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月22日

一夫多妻

昨日、仲良しのママ友の家に日本からのお土産を持っていってきた。
そのお宅は、子供が上から小3、アオと同級生の小1、4歳、2歳と4人いて、お菓子作りとおしゃべり好きなおばあちゃんもいて、よく遊びに行っている。
で、おしゃべりしていると、突然ママ友が
「この家売ってもうすぐ引っ越すのよ」と。
ショックー・・・
徒歩で行ける距離で仲良しの友達だったのに。
引っ越し先を聞くと、マカッサルの中でもかなり便利な場所だったので、あっちなら確かになーと思った。
そして友達は続けた。
「離婚するから」
ええーーー、これまたショック。
だんなさんが単身赴任先で新たな女性と出会い、結婚するらしい。
「ああ、かわいそうに」しか言えなかった。
いいインドネシア語が出てこなかったわけではなく、日本語ででもなんと言っていいかもわからなかった。

深くは聞くことはできなかったが今までの私の知る例から察するに、だんなさんからは「離婚しよう」ではなく、「第二夫人をもらってもいいか」と言われたのだろうと思う。
インドネシアではイスラム教徒は一夫多妻制で妻を4人までめとれる。
しかしながら一夫多妻の家はそう多くはない。
昔々は戦争で男性が早くに命を落とすことがあったのでそういうことになったようだが、今の世の中ではいろいろと問題が多い。
また、決まりとして妻子をすべて平等な扱いにしなければならない。
それぞれの妻に家を与え、愛情も経済的な面でもすべて平等に。
こんなこと、相当のお金持ちで器用な人しかできないと思う。
また、新たに妻を持つ場合はまず第一夫人の許可を得なければならない。
その点が特にネックでもある。
浮気して子供ができて、結婚する当日に今の奥さんに告げた親戚がいた。
結局その浮気した女性とは子供が生まれる前に離婚し、元のさやに戻ったのだが、それはもう親戚中大騒ぎのことであった。
また別の親戚で、長い間不倫していた女の子が第二夫人として結婚したが、周囲からは白い目で見られ結局離婚に至り、しばらくして普通の独身男性と再婚した。
一夫多妻では、このように9割がたうまくいかないようだ。
親戚だけでもこんな例があるのだから、世間一般ではもっとごちゃごちゃあるのだろうと思う。
でも一家族だけうまくいっている家を知っている。
その家のお父さんは本当にどの奥さんにも平等だったので、亡くなった今でも奥さん同士、子供同士もすごく仲がいい。
これはかなり稀な例である。

もうすぐ引っ越してしまう友達、4人の子供とおばあちゃんとを連れて、大丈夫だろうか。
心配で仕方ない。
でも、そう決意した彼女の意思を尊重して、助けられることがあれば何でもしようと思う。
少し遠くはなるが子供たちは転校させないそうなので、月々の保護者会では会えるだろう。
どこの世にも不埒な男性がいるものである。
彼女は私よりも3歳年下、若くてきれいでパワーがある。
友の再出発、流した涙よりも多くの光が舞い込んできますように。
そう祈ってやまない。
posted by ubor at 23:35| Comment(3) | TrackBack(0) | 日常チャ飯事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月20日

インドネシアっ子

帰国中、アオとユメはインドネシアの子供だなーと思ったこと。

@呼び捨て

日本人の同年代の子供らと遊ぶとき、「○○ちゃん」「○○くん」と呼ばずに呼び捨てにしていた。
最初は私が「○○ちゃんっていうんよ」と言ってても遊び慣れてくると呼び捨て。
相手によっては冷や冷やした。
インドネシア語では、大人に使う「○○さん」という言い方はあるが、子供のはない。
ときどき「adik YUME」と呼ばれることはあるが、「ちゃん」ほど使用頻度は高くない。
子供同士で名前を呼ぶとき、他人の子供を呼ぶとき、インドネシアでは呼び捨てでかまわない。


A辛いもの

アオがうどんやそばに七味をかけて食べていた。
6歳の子供なんやけど・・・
唐辛子や香辛料をよく使うインドネシア料理。
ピリッとしたものが欲しいんやね。


Bン万円

アオが、スーパーで買い物をしていて、「このお菓子一万円?」と聞いてきた。
とにかく物の値段にはをつけたがる。
というのも、インドネシアの通貨はルピアで、だいたい1円が100ルピア。
だから100円ぐらいのものでも一万ルピアと言うので、お金の単位には付き物だと考えているようだ。
なんでもかんでも「これ10万円ぐらいするでー」とか言うので、いや、そんな高いもん買わへんよとなんべんも突っ込み返す。
ルピアと円の違いがわかるまでは、まだ当分かかることだろう。


今思い出したのを書いただけだが、また思い出したらそのつど書いていこうと思う。
逆に、日本人ぽいな、と思うこともあった。

日本人の前で、インドネシア語を言わない。

たまに「インドネシア語しゃべってみて」と言われるのだが、日本人の前でインドネシア語をしゃべることは恥ずかしいと思っているようだ。
逆に、インドネシア人に「日本語しゃべってみて」と言われれば、挨拶なりなんなり言っているので、恥ずかしさはないようだ。
アオはなんとか恥ずかしながらもしぶしぶインドネシア語を言ってみせるのだが、ユメはぜったいに言わない。
脳ある鷹は爪を隠すと言う言葉があるように、謙虚なのが日本人。
インドネシア人は逆に誇らしげにアピールする。
二つの文化が交じり合ったうちの子ら。
自分の子ながら、人類学的観点からもおもしろいなーとつくづく思ったのだった。
posted by ubor at 23:03| Comment(2) | TrackBack(0) | 日常チャ飯事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月17日

黒米

先週の日曜に、寒い寒い日本から戻ってきた。
もう冬には二度と帰りたくないと思うほど、寒さがこたえた。
常夏の国に住んでいて冬の寒さというものをまったく忘れていたが、忘れたままでよかった。
冬の食べ物(カニ、牡蠣など)を満足いくまで食べてきたので、冬に思い残すことはない。
いや、一つ、子供らと雪合戦したかったかな。
滞在中は残念ながら、兵庫県南部に雪が降らなかった。
ユメはインドネシアに戻ってきてからも毎日のように、
「今日は雪降るかなぁ?」と聞いてくる。
無理なんだよ・・・

さて、今回は以前から欲しくて欲しくて仕方なかったホームベーカリーを購入してきた。
こちらで変圧器を通して、毎朝予約タイマーで焼きたてのパンを食べるようになった。
停電がおさまった今だからこそできる。

ホームベーカリーはパンだけでなく、ピザ、うどん、パスタなんかも作れる。
もちも作れるので、もち米を買ってきてさっそくきなこもちを作った。
日本の食材が少ないマカッサルでうどんともちが自宅で簡単に作れるようになったことは、我が家の文明開化と言ってもいい。

もち米でできるならと思い、今日は黒米で黒いもちを作ろうと試してみた。

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日本語では黒米、もしくは紫黒米と言う。
インドネシア語では直訳すると黒もち米(ketang hitam)。
日本では雑穀米の一種でしか見かけないが、インドネシアの市場では、ごく普通に米の横に白もち米、黒もち米、茶色もち米、と並んで量り売りされている。
色が黒いので、研ぎ汁も黒い。
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石やゴミが混じっているのを見つけにくいのが難点。

ホームベーカリーに入れてできあがりは

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もちとり粉をつけて丸めたのは左、そのまま丸めたのが右。
真っ黒いもちができた。
でも普通の白いもち米で作ったときよりも粒粒感が残っている。
のびも少なくおはぎに近い。
うーんー、なんとも微妙なおもちができあがってしまった。
一応晩ご飯の一品にと、ごま油をしいて少し焼き、めんつゆに入れて、大根おろしとねぎ、かつおぶしをかけて食べた。
DSC00240.JPG
味はよし、食感は粒粒、見栄え微妙。
やっぱりもちは素直に白いのがいいんだとよくわかった。
これが成功すれば茶色いもち米でも作って、茶色いもちを作ろうと思っていたが取りやめた。
この黒米についてウィキペディアで調べてみたが、どこにも「もち米」だとは書いていなかった。
もちっとした食感だが、どうやら完全なるもち米ではないらしい。
だから粒粒が残っていたのかとも思える。
もっといろいろチャレンジしていく気が俄然湧いてきた。

インドネシアの食品とホームベーカリー、試行錯誤の日々が今始まったのである。
posted by ubor at 23:27| Comment(6) | TrackBack(0) | 和食にチャレンジ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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