2009年12月12日

義父

パソコンを開くのは1週間ぶりぐらいだろうか。

先週12月4日金曜日夜。
そこには日常があった。
モスクから聞こえるアザーン(礼拝の呼び掛け)。
道路沿いに立ち並ぶ揚げ菓子屋台。
そのむんむんとした空気。
バイクで家路へと急ぐ人々。
いつもの光景なのに、氷と化した私の五感。
あの日、義父は逝った。
静かな穏やかな無常の風だった。

イスラムのお葬式では24時間以内に葬らなければならない。
次の日の土曜の昼にはもう、義父は白い布にくるまれて土の奥深くに埋められた。
土を元通りにし、そこには義父の名の書いたお墓ができた。
アオとユメともう一人、孫3人がまずお墓に手を当てて最後のあいさつ。
花々も散らした。
皆、じわじわと涙がこみ上げてくる。
だんなの涙よりも、義弟の涙のほうが辛かった。
まだ大学生、これから先の人生に父はいて欲しかったと思う。
義父は確か歳は58か59か60か、それぐらいだった。
1年半ほど前に肝臓を患い、それからよくなることはなかった。
でも最期は病院ではなく生まれ育った自宅に戻り、安心して安らかに過ごせたと思う。
最期に聞いた言葉は「マンゴーが食べたい」だった。
私は病気だから何か果物が欲しいのかと思ったが、だんなは「いつも食べてたからふと出た言葉やろう」と言っていた。
病院という異空間ではなく、家だからこそ出た言葉なんだろうと思う。
病気よりも義父の日常を感じた。

私は結婚してからの7年ほどしか義父と接していない。
でも、いいことばかりいろいろと思い出す。
私たちが日本から帰ってくるときは、必ず空港まで迎えに来てくれた。
ユメが泣けば抱っこしてあっちこっち歩き回ってくれた。
天井のクモの巣を取るのが上手でいつも頼んだ。
私が家庭菜園をすると言い出したら、庭を耕してくれた。
私の作った日本料理、味噌汁もおにぎりも何でもおいしいと言って食べてくれたのは親族の中でも義父ぐらいだろう。
今日、アオの靴が壊れた。
また義父を思い出した。
靴の修理はいつも義父に任せていたなぁと。
これからは修理屋に頼まなければならないということに寂しさをおぼえる。

義父は最後まで治ると思っていたから、誰も何も言えなかったし、何かを聞くこともできなかった。
悲しみを見せずに、ごく普通のおしゃべりを皆がしていた。
「今までありがとう」の言葉が言えなかった。
心の中の「ありがとう」が義父に届いていただろうか。
風に向かって今言う。
お義父さん、本当に今までありがとう。
posted by ubor at 00:54| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
何ということか、とうとうこの日が来てしまったのですね。
文章の隅々にまでuborさんのお義父さんに対する気持ちが溢れていて、私まで涙腺が緩んでしまいました。
故人のご冥福をお祈りいたします。
Posted by エイプリル at 2009年12月13日 15:19
>エイプリルさん

どうもご心配をおかけしました。
日に日にやつれていく姿を見るのは本当に辛かったです。
病気というものは少しでも早く発見されるべきだとつくづく思いました。
Posted by ubor at 2009年12月15日 00:25
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