2010年12月10日

ジルバブ

今日は月に一度のプンガジアンの日。
プンガジアンとは、イスラムについてよく勉強した偉いさん(ウスタスと言う)が説法をしてくれる会。
ユメの幼稚園で毎月行われている。
もちろん説法は全部インドネシア語で、しかも宗教用語、難しい言葉を使っているから、まったく理解できない。
みんなが笑っていても一人笑えず、むなしい思いをするだけなので正直行きたくはないのだが、ママさん連中が「お茶菓子も出るのにー。わからんでもおいでおいで。何回も来よったらわかるようになるから」と。
強引な誘いに弱い私。
ここんとこ3ヶ月も連続で行っている。

さて、こういった会のときは私もイスラム女性の服装で行く。
イスラム女性の服装というのは、顔と両手以外を覆い、体のラインが出ない格好である。
全体的にふわーっとして長い丈で、靴下をはいてればよい。
あと被り物、ジルバブ(クルドゥン)。

ジルバブは、ただ被るだけのゴムが入ってるタイプのものと、スカーフを巻くのとがある。
装着が簡単なのはもちろん被るだけのほうなのだが、どこをどう探しても私の好みに合うものがなく、面倒ながらもいつもスカーフ派である。
この装着方法をちょっと紹介しよう。

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用意するものは、スカーフ、安全ピン、ブローチ1,2個、髪バンド。
まず、前髪が出ないように髪バンドをする。

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そしてスカーフを半分に三角におり、三角巾をするようなかんじで頭にのせる。
が、三角巾のように後ろでくくるのではなく、あごの下に合わせて、内側から安全ピンで留める。

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あごの下しか固定されていないので、ひらひらしている。
だから、胸よりちょい下(あごからスカーフの先までの真ん中あたり)に小さいブローチで留める。
これがいちばん簡単。

ちょっとアレンジして、ひらひらしている片方をくるっと首に巻いてブローチで留めるというのもある。

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この場合ひらひらのもう片方は逆側の肩のあたりに持っていって、これまたブローチで留める。
要は胸元部分がスカーフによって隠れていればよい。
ほかにも、ひらひらの片方を後ろに持っていき、つむじのへんでブローチで留めるというのもある。
もっといろいろアレンジはあるが、ブローチで留めるというものがくせもので、不器用で何度も指やら首など刺している。
鏡では見えない後ろで留めるのが難しく、結局3通りぐらいしかまだできない。

なぜイスラム女性はこのような格好をするのかと思われる方もいるだろう。
欧米諸国から見ると女性蔑視などといわれることもあるが、逆である。
女性を守るため。
肌を露出し、体のラインが出る服を着ていたら、否が応でもやらしい男性からの視線は避けられない。
女性が、男性から受けるあらゆる犯罪を抑止する目的がある。
家族内では別にそれは必要ないので、家に帰れば皆脱ぐ。
ただ、客が来た場合はまた被るのだが。
こういうのをわかってはいるものの、私は幼稚園以外では普通にTシャツや半パンなどを着ている。
ただ単に暑いからでして・・・。
年中冬の国ならずっとしてるのだろうが。
常夏のインドネシアでこの格好、みんな本当に暑さには強い。
熱中症知らずではなかろうか。

プンガジアンが終わったあと、お菓子を食べておしゃべりして、はい写真。

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いつ何時もいちいちみんなで写真を撮る、この女子高生的感覚にはちょっと私は・・・と思いつつもつられて結局撮ってしまう。
こう見るとけっこうみんなおしゃれしてんなー。
ジルバブとゆったりめの服でもじゅうぶんおしゃれできるのである。
どこの世も女性は美を追い求める。
私もジルバブアレンジもっと研究しようっと。
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2010年11月14日

長い爪

今年は犠牲祭用の牛を2人分申し込んだ。
私の記憶では、確かヤギ1匹で家族全員のパハラ(報奨)があるはず。
なのにヤギ1匹では一人分だと言われた。
物価上昇にともなって何か変革があったんだろうか。
それなら我が家全員の4人分はけっこう高くつく。
牛は一人1ジュタルピア(約1万円)を7人が出し合って1匹購入する。
ヤギは1匹1ジュタルピア。
確かおととし、だんなの名前で一人分申し込んだ。
今回はアオとユメの名前で。

犠牲祭用の動物を召しだす人たちは、先週の月曜日から犠牲祭当日まで、散髪及び爪切りをしてはならない。
犠牲祭の日に牛やヤギをさばく人たちがそれらをしてはならないんだと、私は覚え違いをしていた。
それに気づいたのは水曜日だった。
アオとユメの爪を切ってやろうとしたら、だんなが「牛殺してもらう人は爪切ったらあかん」と。
えーーー、もっとはよ言うてよー。
それなら日曜の夜に切っといたったのにー。
あと1週間、子供らの不潔めいた長い爪に耐えられるだろうか。
何かの拍子にけがをしやしないだろうか。

結局昨日私が耐え切れず、ユメのは切ってしまった。
神様ごめんなさい。
だんなは「まぁ子供やからええで」と言っていたのでよしとする。
アオのほうはユメよりも長くなっていて、もう本当に切りたくて切りたくて仕方ない。
でもアオはそれなりに犠牲祭のことをわかっていて「切らへん」の一点張り。
あと3日の辛抱や。
不衛生に見えてたまらんが、死にゃぁせんしな。
犠牲祭の日の朝、礼拝が終わったらすぐに切ったろ。

長い爪に耐えたアオ、そして切ってしまったユメによきパハラがありますように。
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2010年08月26日

ブカプアサ

昨日は幼稚園主催のブカプアサに行ってきた。
ブカプアサというのは、断食がちょうど終わる時間にみんなでいっしょにご飯を食べましょうというもの。
今回は全員でお金を出し合って、近くの孤児院の皆さんも招待された。
ブカプアサを催したら、招待した人の数だけ報奨が返ってくると言われている。
簡単に言うと、「情けは人のためならず」。
我が家でもやりたいなと思ってはいるが、けっこうお金がかかるので実現できていない。

断食終了時刻まではイスラムの先生(ウスタスと言う)の説法。

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地球が今おかしくなってきているという話だったのだが、
「日本ではカエルが降ってきたり、オーストラリアでは魚が降ってくると言う事態が起こっている。神の怒りだろう」
と言っていた。
へ?なんじゃそりゃ?
毎日NHKのニュースを見ているが・・・ど、どういうこと?
帰ってだんなに聞いてみたが、だんなもそのことは知っていて、新聞に載っていたと言う。
意味が分からない。
何かのたとえ話だろうか?
空からは雨ぐらいしか降ってこんよ。
その新聞、大スポちゃうか?
真相をご存知の方、教えてください。

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それが終わればすぐ断食終了時刻を告げ、ナタデココ入りシロップをいただいた。
その他ナツメヤシやお茶菓子など。
断食を解いてすぐにご飯をがっつり食べるのは胃によくないらしく、まずは水分と甘いもので胃を潤わす。

その後隣のモスクでお祈りしてからお食事タイム。

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なぜかみんなで写真タイムもあった。

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それですぐにみんな退散。
というのもそのあと7時半ごろすぐにまた次のお祈りで、その次はモスクでのタラウィ(断食月の特別のお祈り)があるから。
せっせと食べてせっせと帰る。
ユメは夕方からひたすら友達と走り回って遊んでいた。
ブカプアサとは夕方からみんなで遊べる催し物だと思ったらしい。
「明日もブカプアサ行きたいー」とずっと言っていた。
いや、そんな毎日ないし。

インドネシア語ではブカプアサと言うが、最近はタッジル(Ta'jil)と、アラビア語で言う人も増えてきたらしい。
それに関してだんなは、
「日本語でもコックさんのことを今はパティシエっ言うやろ、ま、そんなかんじや」
ん?なんか違うぞ。
コックさんならシェフじゃないか?
パティシエなら菓子職人じゃないか?
多少の語彙の間違いはあるものの言いたいことはわかったので、あえて突っ込まず、夕涼みに風を受けながら電動自転車でプイーンと帰ってきたのだった。
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2010年08月13日

タラウィ

ウイルスに大分汚染されていたパソコンとはおさらばし、やっと新しいのを購入した。
先月からあまりアップできずにすみませんでした。

さあさあ、断食月が始まった。
病気になったりイライラしたりして、もう二度と断食なんかするもんかと毎年思うのに、やっぱりなんでかしてるんだなー。
今さら言うことではないが、私はまじめ一徹ではない。
断食をして飢えの苦しみを知り、慈悲の心、宗教心を養う、という理屈は理解している。
でも強制ではない。
じゃ、なんでするんだろうかと自分に問いかけると、みんなしてるしまあやっとこかってのもあるし、体重計に乗るのが楽しみだということもある。
動機は不純だがやるからにはやるよ、断食もお祈りも。

普段はそんなにお祈りしない私だが、断食月はわりときちんとしている。
アオが学校からお祈り表なるものを持って帰ってきていて、お祈りをしたらそのつどチェックを入れるのだが、そういうのは親がやらんと子供もやらんからねぇ。
家でお祈りするときは私もユメもともに、だんながいたら一緒にモスクに連れて行ってくれてる。
基本的にうちのだんなは、女はモスクじゃなくて家でお祈りするほうがいいという考えがあるので、私はほとんど行かない。
でも、断食月の特別なお祈り、タラウィはずっと行ってみたいんだけどと申し出ていた。
普通のお祈りの所作は3回とか4回なのだが、タラウィは11回する。
時間は午後8時ごろから。
その前にイスラムの先生の説法もあって、9時過ぎまである。
毎日先生も説法の内容も変わる。
もちろんアオのお祈り表にもタラウィの欄があって、チェックだけでなく、説法内容を書き、先生のサインまでもらわなければならない。

で、昨日初めて家族4人歩いて近所のモスクへタラウィに行ってきた。
男性は2階、女性は1階なので、入り口でだんなとアオと別れる。
ユメとともにおどおど中へ入るともういっぱいの人人人。
どうやらタラウィの前のイシャのお祈りのときからい続けているようだ。
仕方なくものすごい端っこの枠からはみ出たところに場所を確保した。
説法に興味があったのだが、拡声器を使って話しているというのもあり、私のインドネシア語力ではさっぱりわからなかった。
その間も小さい子供がうろちょろうろちょろ、ぎゃんぎゃん泣きわめいたり、お菓子をポリポリ食べたり。
今まではユメが小さいから行ってなかったが、別におかまいなしだったのね・・・
ようやく説法が終わりお祈りが始まっても、騒々しさは変わらなかった。
最初のうちはユメもちゃんとお祈りの所作をしていたのだが、うろちょろっ子たちにじゃまをされ、やる気をなくしてやめてしまった。
やっぱりユメにはタラウィは早かったか。
お祈りの所作は2回ごとに一息あって、そのときはちょろっとしゃべったり携帯をいじっている人がいる。
ユメもそれを見て話しかけてきた。
一息目、「なあお母さん、子供がじゃましてくるー」「ほんまやなー、ほっときほっとき」
次の一息、「なあお母さん、暑いー」「もうちょっとや我慢しー」
またその次、「なあお母さん、おならが出そうや」「あかん、我慢しー。出てもたらお祈りが全部パーになってまう」
おならや尿、便が出てしまうと、もう一回最初からやり直しになる。
ユメのガスさんと時を同じくして、私の膀胱もけっこうな膨らみ具合になっていた。
家を出る前にトイレに行ってきたのにもかかわらずだ。
次の一息でユメは「ちょっとおしっこもしたいな」と。
「あんたもかいな!」
もうあきらめた。
8回で切り上げて小走りで帰ってきてしまった。
ということで初めてのタラウィは未消化で終了。
もはや尿路感染症ではないかと疑うほどにトイレが近い私。
次こそはタラウィすべてできるだろうか。
ユメもともにこの断食月で修行できればと思っている。
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2010年03月09日

ムンガジ

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こちらはアオの家庭教師の先生。
家庭教師といっても国語や算数ではない。
mengaji(ムンガジ)と言って、コーラン(イスラム教の経典)を読めるようになるための練習。

イスラム教徒にとってはコーランの勉強をするのは当たり前のこと。
これが読めなければ学校の宗教のテストもできないし、できなければ落第するのみ。
結婚式のときも確かだんなは読んでいた。
日常の中に宗教があるのである。

村落ではボランティアでこの読みだけを教えているおばちゃんが一人二人いて、みんな学校から帰るとイスラム服に着替えて、そのおばちゃんの家に本を持って読みの練習に行く。
親戚の叔母もそれをやっていて、夕方訪ねると子供らでごった返している。
また、うちもそうだが住宅地では、そういったおばちゃんのところよりも、読み書きを教えてくれるモスク(イスラム寺院)に通う子がほとんど。
うちもそうするつもりだったが、ママ友情報により、今は通う子供が多すぎて勉強せずに走り回ったりしている子もいる、とのこと。
家で一人でなら集中して進みも早いだろうと思い、家庭教師を呼ぶことにした。

さて、コーランとは、必ずしもアラビア語なのである。
こちらは入門書。DSC00291.JPG

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左の方がイクロ1といって、もっとも簡単。
すべてが単体で書かれている。
「ジャーアーハー、ジャーハーツァー」というふうに読んでいく。
右のほうは今アオがやっているイクロ4。
短いが、つづけ字になっている。
「ワーフーダン、マーバーラーカン」とちょっと難しくなる。
この入門書で文字を覚え、最終的にはコーランが読めるようになる。
お恥ずかしいことだが、まだ私は1のレベル。
単体でならなんとか読めるものの、つづけ字になるとちょっと・・・
アオはもうつづけ字もすらすらっと書きよるんよね。
6歳の息子に負けるなんて不勉強以外の何ものでもないのだが、今度ユメと一緒にがんばっていくつもりだ。
ぜったいユメとする!ここで公言しておこう。
それまでに退化しつつある脳を鍛えてとかんといかんな。
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2009年02月15日

金縛り

昨夜、10年ぶりくらいに金縛りにあった。
久々の恐怖。
とはいっても幽霊を見たこともないし、霊感があるということもない。
ただ疲れがたまっているだけかと思われる。
10年前も確か大学の卒論だかなんだかで疲れていた。
今ストレスを抱えていることもあり、またやってきたようだ。

金縛りとは、かかったことのない人には分かり辛いだろうが、とにかく小指1本動かせない。
声も出せない。
で、私の場合は、寝ている自分とは別の自分が体から出ようとする。
そう、幽体離脱。
寝ている自分は出ようとする自分に、出たらあかん、出たらあかん、と心で叫び戻そうとする。
出ようとする自分が少し起き上がったところでグッとものすごい力で戻されて、目が覚め体も動くようになる。

この話をだいぶ前にだんなにしたところ、
「『ビスミッラー』って言わんと寝るからや」と言われた。
「ビスミッラー」とはイスラム教徒のよく使う言葉で、床につくとき、車に乗るとき、ご飯を食べるときなど何かするときに言う言葉。
意味は簡単に言うと、私の身は神様のもので神様が守ってくれる、というようなこと。
正確には「ビスミッラーヒラフマニーラヒー」と長く続きがある。

夕べ寝る前、言ってなかったよー、「ビスミッラー」。
でも金縛りにあってる間はだんなの言葉を思い出し、ひたすら「ビスミッラー」を唱えた。
でも遅かったようだ。
効かなかった。
しかも昨日は完全に体が離脱して立っていた。
でもふわっと浮いて倒れて元の体に戻った。
でもまた出ようとして、引き戻して、それを何回か繰り返してやっと解けた。
もうほんっまに怖ーて怖ーてがく〜(落胆した顔)
すぐさまだんなのベッドに行って揺すり起こした。
「ちょっと、『ビスミッラー』何回言うても体が出て行こうとするねん、めっちゃこわいーこわいー、一緒に言うてよー、手持っといてよ」
だんなは寝ぼけ眼でむにゃむにゃしながらも添い寝してくれて、無事に普通の眠りにつくことができた。
今日は絶対に忘れんと「ビスミッラー」言うて寝よう。
「ビスミッラー」の続きの言葉も全部言うて寝ないかんわ。
その前にまずストレスと疲れを解消せんといかんのやけど。
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2008年12月04日

募金

今朝早くに玄関チャイムが鳴った。
月初めに朝早く来る人といえば、
私「ケーブルテレビの集金やわ、5万ルピアとってこな」
だんな「孤児院が来た、はよ2万ルピアとってこーい」」
と意見は分かれたが、玄関ドアを開けたらだんなの正解。
孤児院のおっちゃんだった。

孤児院が定期的に募金集めに来るんよね。
日本で募金って言うと街頭とか、学校の募金箱とか、個人の意思でするようなかんじ。
しかしここではまるで訪問販売のごとくやってくる。
しかも孤児院だと訪問販売のようにむげにできず、払わないなんて言えない。

イスラム教は、困っている人を助けたり、物やお金をあげたりするのが普通である。
いや、そうしなければならない、言わば義務である。
怪我した人がいると、急いでいるからといって決して素通りすることは誰もしない。
どんどん人が集まってきてあれやこれやと手を差し伸べる。
そしていいことをすれば、その分自分に返ってくる。
日本語で言うところの「情けは人のためならず」という教え。

今日孤児院に募金した分、なんかいいことあるかな〜。
2万ルピア(約165円)分、ん〜ちょっとしょぼいか・・・
posted by ubor at 20:59| Comment(2) | TrackBack(0) | 学ぶ、イスラム教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月07日

お祈り

断食は6日目に突入した。
断食期間中は宗教心を高めるときでもあり、さぼり気味の我が家でも夜だけは家族全員でお祈りしている。
いや、ほんまは5回せんなんねんけどね・・・

アオとユメのお祈り用の服。

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アオのは幼稚園の制服で、宗教の勉強がある金曜日のもの。
普通のシャツに腰巻布でもよし。
色も柄もいろいろあって白に限っているわけではない。
帽子も専用のをかぶるが、なくてもよし。
ユメのはイチゴ模様のお祈り用服。
大人の女性もこのように白色で、顔だけ出せる頬被りと足先まで隠れるスカートをはく。

お祈り中。
(私は断食休みの日なのでお祈りもしていない。)
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先頭に男性のいちばん偉い人(うちではだんな)が立ち、その少し後ろにアオ、女性は男性の後ろでする。
必ずメッカのほうを向き、お祈り用の小さいカーペットを敷いてする。
二、三度頭を下げたりひざをついたりするのだが、ユメはまだそれらがなかなかできない。
ただボーっと突っ立ってるだけ。
アオは途中で自己流のお祈りの言葉を大きい声で言ったり、左右キョロキョロしてみたり。
でもこの断食月で徐々にできるようになっていってくれたらなと思う。
いや、子供らよりも私もたいがい勉強不足やし。
断食月、わが身を振り返り、高める期間でもある。
あと、ダイエットが自然になされていくのも私にとってはうれしいこの期間。
ガリのだんなは「毎日肉を食べさせろ」光線を浴びせ、お金がかかる期間でもある。
普段とは違うこの断食月を有意義に過ごしていきたいと思う。
posted by ubor at 01:26| Comment(6) | TrackBack(0) | 学ぶ、イスラム教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月10日

願い事

七夕の飾りはいいのだが、そろそろ竹が枯れてきた。
われながら力作だったのだが。

さてさて七夕の飾り、前回の写真を見ただけではわからないとは思うが、実はごく普通の日本人のそれとは異なっているところがある。

それは、たんざくに願い事を書いていないこと。

イスラム教は一神教である。
日本の多神教のように、海の神様、山の神様というわけではなく、唯一の神様。
だから、日本人がたんざくに願い事を書くのは多分、天に向かってであろうということで、うちでは却下された。
ま、代わりに「おりひめ」「ひこぼし」なんぞを書いてみたのだが。


こういったことは七夕だけでない。
初詣に行くけど、さい銭を入れて参拝、おみくじは不可なので、出店でたこ焼きやたい焼きを買って楽しむ。
節分は「鬼は外、福は内」とは言わず、「えいっ」と言って豆投げ。
サンタさんの登場するクリスマス会に呼ばれたら参加しないが、名目が鍋パーティーに変更されると行ける。
友人が教会で結婚式をすることになったら、参列はできるが賛美歌は歌わない。
お葬式も参列はするが、お経は読まない。

これ、あくまでもうちのやり方。
同じイスラムの方々でも、それぞれ家によって日本の行事との対応が変わる。


もう竹が枯れてしまってはみすぼらしいので、今日明日あたりで七夕飾りは撤収としよう。
日本の子供たちはみんなどんな願い事をしたのだろうか。
やっぱりごく普通に「○○のおもちゃが欲しい」とかかな。
アオとユメ、あんたらはお父さんに頼みや〜。
posted by ubor at 12:44| Comment(2) | TrackBack(0) | 学ぶ、イスラム教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月10日

一月一日

今日1月10日はインドネシアでは祝日だった。
私は、インドネシアの祝日をはっきり覚え切れていない。
はてはて、今日は何の日かな・・・

新年(ヒジュラ歴)

あらあら、知らなかったわ。
イスラム教徒の使っているヒジュラ歴の1月1日である。
でもお正月の雰囲気はまったく無し。
テレビでは、首都ジャカルタのほうでしている催し物がニュースで取り上げられていたけど、マカッサルでは特に何にもなかったんじゃないかな。
ごく普通の祝日。


ヒジュラ歴は太陰暦である。
西暦は1年365日だが、それより約12日程度短い。
だから、毎年12日なり13日なり前へ前へとずれる。
おのずとヒジュラ歴に関係する祝日もずれていく。
あっ!
てことは!
ぺらぺらっとカレンダーの12月のところまでめくってみると・・・

ありましたー!

12月29日祝日。

もちろんヒジュラ歴の新年。

なんと今年は新年の文字が2回もカレンダーに載っている。
これって何十年に1回のめずらしいことのはず。

もしこれが子供時代で、日本のようにお年玉をもらえてるなら年に2回はめちゃうれしい。
いや、今でも紅白を年に2回見れるとなると、なんかうれしい。
おもちも食べれるとさらにうれしい。

が、マカッサル・・・何も無い・・・

ヒジュラ歴のお正月も盛り上がろうよー、インドネシア人たちー!
posted by ubor at 22:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 学ぶ、イスラム教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月24日

イブ?

今日はクリスマスイブなのか。
カレンダーを見て気付いた。
そういや、モールでもツリーなんかが売られていた。

私は結婚して、イスラム教徒となった。
よって、このクリスマス、とんと縁のないものとなってしまった。
え、なんで?と思った方、世界史の教科書を開いてみ。
イスラム教は一神教なのだ。

神様は一つと言う考え。
だからほかの神様のお祝いは関係ない。
でも、忌み嫌うのではない。
12月25日はインドネシアでは祝日である。
イスラム教徒が多数を占めるインドネシアでも、キリスト教徒のお祝いはぜんぜんできる。
みんな友達である。

で、一神教についてなのだが。
神様は一つという考えは、日本人にはなかなかピンとこない。
日本では海の神様山の神様、果ては押入れの神様までいるやも知れぬ。
だから西欧行事のクリスマスも、受け入れられたのだろう。
何より、商売繁盛のネタを百貨店経営者は探しまくっている。
消費者はうまくそれにのせられ、現在では子供らはサンタにプレゼントをお願いし、恋人たちはロマンチックな夜を演出するようになった。
そんな光景を、日本に来たインドネシア人はみんな笑っている。
日本人ってキリスト教徒じゃないのになんで?
とか、
あれ?あんたの神様?
といったぐあいに。
逆にインドネシア人にしてみれば、多神教と言うか、商売繁盛すればそれで良しというか、そんな考えがピンとこない。
日本をよく知るだんなでも、いまだにピンとこないらしい。
クリスマスシーズンになると、だんなはいつも首を傾げるので、毎年そのつど私の日本文化論講義が始まる。

私は、日本のほうはもちろん知っているが、イスラム教についても一神教の考えについて勉強したので、どちらも別におかしいとは思わない。
どちらもそれぞれいいところがある。
ただ私はイスラム教徒だから、その教えの通り生きているというだけ。
なので、うちはケーキを食べることもなく、パーティーをすることもなく、フツーにグッチ裕三のお料理のテレビ番組を見ている。
あー、あの焼き芋スティックおいしそ〜。
明日さつまいも買おーっと思う12月24日の夜。
日本の皆さんいかがお過ごしでしょう?
posted by ubor at 23:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 学ぶ、イスラム教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月25日

左利き

昨日のだんなの包丁を持った手、お気づきになった方いるだろうか。

だんなは左利きなのである。

インドネシアでは、左利きに生まれてしまうと、ちょっと大変。
というのも、イスラム教では左手は不浄の手。
ご飯を食べたり、字を書いたり、握手や人に物を渡すときは右手。
トイレで用を足したとき使うのは左手。
必ず。

と言うことで、左利きであるだんな、だんなの妹、だんなの妹の子は最低限右手でやらなければならないことは、何度も何度も注意されながら、なんとかできるようにさせられたのだった。
包丁を持つ、テニスのラケットを持つ、ボールを投げる、などは左手を使っている。

 
 ♪私の私の彼は〜左利き〜

日本に住んでいた頃、だんながあの歌をレンタルしていた。
あの歌詞のような乙女心を私が持っているとでも思ったのだろうか。
当時彼氏だっただんなに初めて料理をしてもらったとき、くわえタバコで、半パン一丁で、左手で鶏をガツンガツン切り落としていたのを見て、
「この人ジャングルから来たんやろか」
と思いましたが。
posted by ubor at 16:41| Comment(5) | TrackBack(0) | 学ぶ、イスラム教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月11日

あいさつ1

イスラム教では、あさっての13日から30日間の断食月に入る。


私は去年は授乳中、おととしは妊娠中でしてない。
久しぶりの断食。
気合い入れてがんばるぞー!
なんだか楽しみになってきた。


アオの幼稚園は今日までで、明日からしばらくお休みとなる。
基本的に幼稚園児は断食をしないのだが、もしできるならやってみよう、といったチャレンジ表をもらってきていた。
多分、いや、ぜったいアオはしないだろうな・・・
断食とは何たるものか、何のためか、どんな意味があるのか、なーんにもわかっていないのに、無理だろう。


今日、幼稚園の友達のお母様方と、皆一様にあいさつの言葉を交わしてきた。

Selamat menunaikan ibadah puasa

日本語では、「断食を楽しんでくださいね」とでも言おうか。
この言葉を人と交わしていくうちに、断食ムードが盛り上がってくる。
年に一度の一大イベント。
イスラム教徒の方々、はりきってまいりましょう!


その前に、明日はお掃除がんばってしとこっと。
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2007年08月13日

利子

インドネシアの銀行の利率は、日本と比べものにならないくらいいい!
5〜9%くらいあると思う。

しかーし、
うちはイスラム教。
イスラムは自分が働いて儲けたお金でないものは、捨てるのよ。
銀行預金の利子は捨てるもの。

うちも少しだけ銀行に預金してあるが、おもいっきり利子をせしめてしまっていた。
というのも、勉強不足でした、はい・・・
うちは、毎年断食明けにかなりの米やお金を、モスク(イスラム寺院)や孤児院に寄付していた。
それで、とんとんだとだんなは言っていた。

ところが先日友人とその話になったとき、
「利子は寄付のお金にできないよ、ほんとにそのへんのおばさんにあげるようなお金」
と教えてもらった。
なにぃーー。
帰ってだんなに、
「利子は寄付には使ったらあかんねんて」
と即言ったが、
答「え、そうなん」

生まれたときからモスリムなのに・・・
んー、だんなの言葉を信用してて勉強しなかった私も悪いな。
ちょっと考えれば、「捨てる」と「寄付」では意味ちがうもんな。

まだまだきちんと解釈できてない。
わからないことはだんなに尋ねてたが、どうやらこの友人に尋ねるのがいちばんだと分かった。

ペーペームスリム。


でもめちゃ利率いいから、イスラム教以外の方にはおすすめ。
といっても、住まないのにわざわざインドネシアで口座作る人なんていないか。
日本もいい加減利率上がるといいのにねぇ。
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2007年06月15日

ア バ タ ツァ

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うちのだんなはこれら全部アラビア語が読める。
イスラム教の人にとっては当たり前のこと。
イスラム教の経典コーランを読めなければならないから。

アオも金曜日は幼稚園の授業で、勉強している。
「ア バ タ ツァ・・・」
と順番に読む。

やばい
もうすぐ三十路の私が4歳の息子に遅れをとりそうだ。
寝室にはってあるがなかなか覚えられない。
おはずかしいことに、いまだに一番上の段しかわからない。
子供二人が小学校にでも上がったら真剣にがんばろうと思っているが、私の脳みそちゃんはついてくるだろうか。

アオが小学校に上がったら、教科書借ーりよっと。


メッカ巡礼の日はほど遠い・・・
posted by ubor at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 学ぶ、イスラム教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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