2008年04月29日

ヤギパーティー

インドネシア出産記第10回(最終回)。


ユメが退院した次の日から、お義母さんと親戚のおばさんたちは大忙しとなった。
というのも、子供が生まれて7日目のパーティーの準備のため。
私は手伝う必要は無い様子。

さて、この生まれて七日目のお祝いパーティー、まず早朝にヤギを殺す。
男の子の場合は2匹、女の子なら1匹、お金に余裕が無い家は鶏で代用するところもある。
そしてそのヤギを使って料理して、招待客にふるまう。

昼前に多数のイスラムのお偉いさんがやってきて、全員でひたすらコーラン(イスラム教の経典)を唱える。
その唱えている間に、それぞれ一人ずつにユメの髪の毛をちょびっとずつ切ってもらい、ココナッツの中に入れていってもらう。
その間ユメはまたもや賢くも、ずーっと寝てくれていた。
イスラムではアキカと呼ばれる行事で、子供が生まれると必ずする。
本当は全部髪の毛を剃る。
しかし私は涙ながらに訴えた。
「全剃りだけはやめてー。女の子やのに。しかも生まれたての子供に刃をむけるなんてー。全剃りなら一歩も家から出ないぞー。しかも絶対誰にも抱っこさせない」
あのとき抵抗しててよかったと思う。
2歳になったユメは、いまだに地肌が見えるほど髪の毛は薄く、伸びるのが遅い。
剃ってりゃさらに倍薄ってことになっていたやも知れぬ。

昼過ぎ、招待客がわんさかやってきてお祝いの品をたくさんいただいた。
ちなみにお祝いの品、お金もあれば子供服もとここまでは日本でもありえる。
しかし、大多数が洗剤であった。
これから洗濯する量が増えるからってこと?
しかも手で洗う用の洗剤。
うちは洗濯機なので、使わない。
全部お義母さんや親戚のおばさんたちに配られていった。
ま、数日間パーティーの準備でお世話になったからね。

このようにして無事に一連の出産行事を終え、ユメはすくすくと成長していくのでありました。
全10回のインドネシア出産記、ご愛読ありがとうございました。
次回からはいつも通りに戻りますので、引き続きインドネシア、マカッサルでの生活を垣間見にやってきてくださいまし。
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2008年04月24日

退院

インドネシア出産記第9回。

来訪者の回でも紹介したが、インドネシア人はアポ無しで突然やってくる。
やってくるのも突然だが、他にも突然「パーティーやってるから今から来い」なんてのもある。
日本人は1ヶ月先、2ヶ月先の予定をスケジュール帳に書いているなんて言ったらびっくりするやろうなぁ。

ユメが生まれて4日目の朝、産婦人科の先生が回診に来て一言。
「もう帰っていいよ」
えーーーー!
これまた突然である。
予定もへったくれもありゃしない。

ちょっと待てよ。
私お腹切ったんよ。
産む前の日入れてもまだ4泊5日しかしてないぞ。
日本でアオを産んだときは、暇で暇でしょうがない2週間の入院生活やったぞ。
でも体は動くしな。
い続けても高くつくだけだしな。
私がいない間の家の様子も気になる。
はよ帰ろ!

ということで早速だんなに電話して迎えに来てもらった。
突然の退院宣告にだんなも「えらい急やなー」とぶつぶつ言っていた。
だんなが来るまでに私はこまごました荷物をまとめ、ばたばたと身なりを整えた。
後でどこに行くともないのに久しぶりに化粧もしてみた。

だんな、アオ、お義母さん到着。
さっそく看護師さんを呼ぶ。
ユメの耳にピアスを開けるためである。(ピアスの回参照)
看護師さんがピアスをあけている間に大きい荷物をまとめた。
ユメはピアスをあけられて、なんとなしムスッとしていた。

okii.JPG

痛かったんだろう、ごめんよ〜。
ご褒美に、出始めた母乳をたーんとあげた。

ということで母子ともに無事退院。

退院の日の忘れられないこと。
病室からタクシーに乗るところまで、アオを手をつないで行った。
久しぶりにつないだアオの手は、一回り大きくなっていた。
もうお兄ちゃんなんやなーとじーん・・・。
私の小指を握れるほどしかない小さい手、そして少し大きくなったけどまだまだ子供の手、アオとユメ二人の手を握り締め、改めて母親となったことに感動したのであった。
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2008年04月23日

予防接種

インドネシア出産記第8回。

ユメが生まれて三日目。
朝から小児科医の回診があった。
ユメの身体、健康状態をチェックし、「では」
と取り出されたものは、

注射雷

え、先生、まだ生まれて三日目でっせ。
ま、三日目だから痛いもかゆいも覚えてないからいいのかもな。

ということでB型肝炎の1回目の予防接種を太ももにぶちゅーっと。
そのあと飲むワクチンであるポリオを飲ませていた。
同じ日に二つもしちゃうのね。
例えば何か副作用が出た場合、どっちのが悪かったか検討付けられないんじゃない?なんて思いながら。
その日から6ヶ月になるくらいまで、毎月予防接種のため病院に通ったのだった。
日本のより回数も多いし種類も多かった。

ポリオは日本では2回だが、こっちは4回。
B型肝炎は日本では任意だが、こっちは必須。
そのほか任意で受けられるものは腸チフスやマラリアやら種類も豊富。
ま、しとくに越したことはない。

後で調べたことだが、日本の予防接種のほうが世界的に見てちょっと変わっているそうだ。
さらに、去年、日本からの海外巡回検診でいらっしゃったお医者さんには、「日本の予防接種のやり方では東南アジアではやっていけない。日本のは弱いよ」と言われた。
ほぉう、ここで暮らすならインドネシア式にやらないとだめなのか。
だとすると、待てよ、日本式のアオはやばいな。
それが理由とは言えないが、確かにユメは病気になっても医者にも行かず1日で治るが、アオは医者に行っても、2,3日、ひどければ1週間治るまでかかる。
郷に入っては郷に従えとは、こんなことにも通ずるんやね。

“MADE IN JAPAN”
電化製品は高性能だが、ウイルスに対する免疫力はいまいちのようだ。
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2008年04月22日

お見舞い

インドネシア出産記第7回。

術後室から無事に自分の病室に戻った私とユメ。
待ち受けていただんなからヒョエーーーの言葉が。
「今日親戚がお見舞いに来るっんやって、30人くらい、子供入れたらもっと・・・」
え、
なんて、
もういっぺんその人数言うてみ。
退院してからでええんちゃうのーーーー。

親戚御一同様は夜にやってくるらしい。
それまでにだんなといろいろ策を練り始めた。
親戚御一同様は、一般インドネシア人であり、衛生的に見て劣悪な環境にその身をおいている。
30人のうち、なんらかのウイルスなりバイ菌なり保持している人は少なからずいるはず。
まず私はいいとして、ユメに何かバイ菌が乗り移ってはいけないということで、絶対にユメを触らせないようにと、ユメのベッドにかけられていた蚊帳のようなレースをクリップで固定し、御簾越しにしか見られない風にしてみた。
そしてそのベッドを、私のベッドと窓の間、つまり部屋のいちばん隅っこに移動させた。
もちろん私はまだ下っ腹が痛むので、だんなが動く動く。
一組来て、帰ったら次の一組が入れる制にしてはどうだろうかと提案してみたが、だんなに却下された。
「そんなん全員一緒にペテペテ(乗り合いタクシー)で来るに決まっとるやん、絶対みんな団体行動やねんて」だと。
そうそう、インドネシアの病院は土足。
看護師さんもサンダルをペタペタ言わせながら歩いている。
ということで、まず入り口では必ずサンダルを脱いでもらう、その後、いつも真っ黒な足と手は洗ってもらおうということになった。
あとは客が来ている間、ユメがずっと寝てくれていることを祈ろう。

さてさて夜7時半、ぞくぞくとやってきた親戚たち。
バーゲン客のごとく入ってきてしまったので、手足を洗ってもらうというのは最初の2,3人までしか徹底されなかった。
しかし入り口でサンダルを脱ぐというのは、一人目がすると後に続く人も言わなくても脱いでいた。
そしてお祝いの品を私のベッドの上にぼんぼん置いていって、地べたに座りお菓子を広げて宴会が始まった。
子供たちはちょろちょろしていてお菓子をそこら中にこぼしまくり。
大人もワイワイガヤガヤうるさかった。
看護師さんが何度も注意しにきた。
それでもユメは寝続けていた。
あんたかしこい!

私は、どんなにうるさかろうがユメを守ることに徹していた。
一人だけ、ユメの蚊帳を無理矢理開けようとしたおばちゃんがいたが、無事に阻止することができた。
一度子供を産んだ親戚のお見舞いに病院に行ったことがあるのだが。客のおばさんが子供を新生児用ベッドに土足でのせていたのを見たことがある。
衛生的に汚いとかなんとかという観念が無いに近い。
インドネシアの高い新生児死亡率何パーセントのうちにユメを入れられてたまるかと、私はいつになく目を光らせていた。

9時過ぎ、宴会はお開きとなり、ようやくみんな帰っていった。
フゥー。
ものすごく散らかった病室を、お義母さんは窓も開けずにほうきで掃き始めた。
ほこりっぽかったが、もうどうでもよかった。
疲れた。
寝たい。
もうお見舞いはこりごりだ。

そういえばみんなが帰ってからちょっと笑えたこと。
お義母さんは誰が何のお祝いを持ってきたか、きっちり覚えていた。
しかも、誰々は何も持ってこなかったとも言っていた。
よくあのワイワイガヤガヤの状況でそんなこと見てたなー。
感心感心、だって私そんなことまでぜんぜん気が回らなかったし。

見舞い客が来る際の心構え、私とお義母さんではかなりのズレがあるのであった。
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2008年04月17日

産科知識

インドネシア出産記第6回。

ユメを産んだ次の日、術後室にて朝をむかえた。
産婦人科の先生が朝早く回診に来てくれて、ガスが3回出れば、赤ちゃんともども病室に戻っていいよと言われた。
3回かー、ぜんぜん動いてないし食べてもないし、こりゃ難しい。
体を横に向けたりしていろいろがんばってみた。
そんな私を遠目に、泣き虫おばさんは病室へと戻っていった。
昨日ずーっと泣いていたのは、肺呼吸でせめて上半身でも動かし、おならをスムーズに出すためだったのではないかと疑いたくなるほど早かった。
ちなみに恥ずかしがりやの男性は、前の日の晩にもういなくなっていた。
あー、早く病室に戻りたい。
1回大きいのが出るようにしむけ、小分けに3回でどうだろう、などと実にくだらない発想で肛門運動もしてみたのであった。

面白人間の集合地である術後室を早く出たかったのには理由がある。
看護師にユメをまかせておけないからだ。
ここは総合病院、ということで、産科特有の知識に乏しい看護師ばかり。
しかもほとんどが若くてまだ子供も産んだことがなさそうな人で、実経験も無いと見受けられた。
看護師さんがユメをお風呂に入れると、赤ちゃんでもここまで出るのかってくらいの叫び声でユメは泣き続けていた。
私のベッドの位置からは見えないので、心配で心配で仕方ない。

もっとびっくりだったのは、哺乳瓶を煮沸消毒していないこと。
ミネラルウォーター?(水道水でなかったことを祈る)でササッとゆすいだだけで、次のミルクを入れている。
哺乳瓶用ブラシもスポンジも使わず。
しかもスプーンすりきり1杯と書いてあるのに、スプーンに山盛り入れている。
お湯の量はいつも違う。
そして飲み残したミルクをずっと枕元に置いていて、時間が経ってからまたあげようとする。
うわー、全部私がするわよー、点滴とカテーテルをはずせーい!と心の叫びは止まなかった。
とにかく母乳が出るまでの我慢だ、せめて病室にさえ戻してくれれば哺乳瓶用の洗剤は持ってきている、ユメ、耐えろ、変なバイ菌よあっちへ行け、がんばれーユメーーー!

心の叫びが我が腸にも届いたのだろうか。
午後になってようやく3回目の「プー」が。
はー、ここまでユメが無事でよかったよかった。
ほんと、総合病院でいい面もあればこんなマイナス面があるなんて。
これはもしかしたら日本でもありえることじゃないか、ま、ここまでひどくはないだろうけど。
看護師さんたちに産科の知識を私が教えてやりたいくらいだった。

ということで私とユメは、お義母さんの待つ病室へと戻っていったのであった。
部屋に戻ってまずしたこと、哺乳瓶を全部きれいに洗い直した。
言うまでもないか。
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2008年04月16日

術後室

インドネシア出産記第5回。

術後室にてユメと二人になった。
ナースステーションでもあるので、看護師さんたちはうろうろしているが、テレビもなく、点滴やカテーテルがつながっていて動けず暇だ。
日本でアオを産んだ直後はそりゃもう終始体中が痛かった。
熱も出て、声すらも出せずつらかった。
今回もそんなことになるだろうと思っていたのが、へ?。
ユメを産んだ直後はピンピンしている。
くしゃみや咳をするときに下っ腹がズキズキっと痛む程度。
アオのときと痛さは10倍ぐらいちがうだろうか。
とにかく痛くないってのに感動したので、私はインドネシアでの出産に1票を与えたい。

さてさて、暇になって程なくおばさんが運ばれてきた。
手術前の待機室で不安そうにしていたおばさんで、無事に手術が終わったようだ。
私のベッドからも見える、5mほど離れたところのベッドに寝かされた。
目覚めたおばさん、まだ不安そう。
そしてシクシク泣き出した。
看護師さんが入れ代わり立ち代わり「○○さん、大丈夫ですよ。無事に終わりましたよ」と声をかけていたが、延々と泣いていた。
はてはて安心の涙なのか、まだ不安の涙なのか、よくわからない。

その頃、お義母さんと親戚のおばさんが術後室にやってきた。
お義母さんたちも泣いているおばさんが気になってしかたない。
ずっと見て「なんでやろ、なんであんなずっと泣いてんねやろ」と言っていた。
とそこへ男性が運ばれてきた。
私のベッドの位置からは見えない。
しかし大勢の人の泣き声は聞こえる。
どうやら亡くなった人のようだ。
お義母さんと親戚のおばさんは、典型的インドネシア人おばちゃん。
おしゃべり大好き&野次馬大好き。
しれ〜っと二人はその亡くなった人のほうまでのぞきに行った。
かなりじっくり見てきたのだろうか、
「まだ10代か20代の若い男の子やでー。ほいでもごーっつい太ってるわ。傷も何もあらへんのになんで死んだんやろ、いやーしかしごっついわ、太ってまるまるしてる」
「もう運ばれるんちゃうか、あんたも見てみ、ほんま、ごっつい太ってるから、ごっついでごっついで」
術後室でも弾丸トーク炸裂。
その日は私の病室で二人で寝るんだと。
病人用ベッドでおばさんは寝かせてもらうわ〜、お義母さんはソファーね、なんて言いながら二人は出て行った。
非日常の病院をものすごく楽しんでいた二人であった。

さてさて、3,4時間ぐらい泣き続けたおばさんがやっと泣き止んだ頃、30代くらいの男性が運ばれてきた。
3mくらい離れたところでかなり近い。
しばらくして看護師さん(女性3人ほど)がそこの周りにカーテンをし、何か処置が始められた。
その男性は一言も発していないようだが、看護師さんの声がまる聞こえ。
「△△さん、お願いですから恥ずかしがらないでください。恥ずかしがらないでくださいよ、ここは病院なんですから、ね、早く、恥ずかしがらずに」
想像できたのはただ一つ、何か下半身の問題で看護師さんたちをわずらわせているのだろう。
そうやってしているほうがよけい恥ずかしいよー。
その後で入ってきた奥さんらしき女性に教えてあげたかった。

よくもまぁ、1日の間にこんな人たちに出会えるもんだ。
そんなに広くもない部屋でいろんなことが起こる。
三谷幸喜のお芝居でもみているかのよう。
術後室、失礼だがテレビは無くても十分楽しめた。

こうしてユメを産んだ日は過ぎていき、生まれたばかりのかわいい寝息を横に、私は眠りについたのであった。
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2008年04月15日

胎盤

インドネシア出産記第4回。

意識がうっすらと戻ってきたとき、手術台から簡易ベッドに移されようとしているところだった。
簡易ベッドのまま術後室に運ばれ、普通のベッドに移されるときにはもうはっきりと目覚めていた。
ちなみに術後室というのは、ナースステーションでもあり、手術直後の人がガスが出るまでいる部屋。

私が眠りにつかされている間、だんなは誕生したばかりのユメをずっとビデオカメラで撮っていたようだ。
あとでビデオを見ると、まだ羊水でぬれているようなかんじで、青いというか赤いというか、オギャーオギャーともうほんとに生まれたて。
へその緒もびよ〜んと付いている。
だんなよ、あんたどこまで入らしてもろてたんや?
こりゃインドネシアでは処置室は入室OKらしいな。
日本でアオを産んだときなんて、3日目でやっと手元に来たのに。
それまでは新生児室をガラス越しに見るのみ。
半ば、竹千代を産んですぐに春日局に渡さなければならなかったお江与の気持ちであった。

その後ユメの体はきれいにされ、術後室で新生児ケースに入れられた。
この新生児ケース、上のふたを開け閉めできるだけの、店頭にあるようなショーケースとなんら変わりない。
タオルケットがひいてあるというくらいだろうか。
ふたを閉めたままでは空気が入らないのか、いつもふたとケースの間にはタオルやら箱やらが挟まれてあった。
小さい穴付きのケースを作るのは、この国では難しい技術らしい。

そのユメが入れられたケースの横のベッドに、目覚めた私は移された。
ほどなくビニール袋を持っただんながやってきた。
「とりあえずこれもって帰ってくるわ」と。
なにー、ようがんばったなとか、なんかそんな一言無いのー!
確かアオを産んだとき、初めてだんなが私に言った言葉は、
「生まれたで!」だった。
いやいや、そんなん知っとるし、私産んだし。
うちのだんなは、子供を産んですぐの奥さんに対する言葉がちとずれているらしい。
それでだんなはビニール袋を持ってそそくさと帰っていった。

さてさて、だんながそんなに急いで持って帰らねばならなかったもの、うちの庭に埋められている。
わかるだろうか、ちょうどこんもりもりあがったところの下に。

DSC00537.JPG

その正体とは、

胎盤である。

インドネシアでは胎盤は持って帰って埋めるのが普通。
何か一緒に埋める地域もあれば、どのくらい掘るのか決まっているところもあり、地域によってやり方はさまざまだが、とにかく埋める。
だんなとお義父さんでがんばって掘り、埋めたらしい。

無事に胎盤を埋め、だんなはまた病院に戻ってきた。
術後室でユメを横に、「アオに似てるなー」「魁皇にも似てるなー」などと、子供を産んだ夫婦らしい会話を、やっと楽しんだのであった。
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2008年04月14日

麻酔科医

インドネシア出産記第3回。

アオは日本の産婦人科で出産、ユメはインドネシアの総合病院で出産した。
アオのときは、手術にはそこの産婦人科医が二人にあとは看護師さんたちだった。
それにひきかえユメのときは、産婦人科医や小児科医、その他もろもろ研修医だか看護師だかなんせ人が多かった。
人が多いということは・・・こんなことが起こるんです。

私の手術予定は午前8時だった。
だんなとアオは、まだ朝の薄暗いうちにビデオカメラを抱えてやってきた。
7時過ぎ、病室に看護婦さんが迎えに来て、車椅子で手術室の横の待機室へ家族ともども移動。
家族は部屋の外で待つ。
7時半、手術時用の服に着替え、横になって点滴やもろもろの注射が始まる。
その頃には、いつもの産婦人科医の先生と小児科医の先生がうろうろしていた。
8時、まだ始まらない。
8時半、点滴をずっとしているのでトイレが近くてたまらない。
9時、その辺にいる看護師さんと雑談・・・まだ?
隣のベッドに内臓の手術を受けるらしい女性がやってきた。
今にも泣き出しそうで、むちゃーくちゃー不安そう。
9時半、隣の女性の沈んだ顔は見るに耐えられなくなってきた・・・まだ?
そして9時45分、やっと、やっと呼ばれ手術室へ。

なぜこんなに遅れたのか、その理由は手術室に入ってすぐに判明した。
麻酔科医の遅刻。
麻酔科医がいなけりゃ始めるに始められんな。
すぐに腰に麻酔の注射をされ、寝かされた。
下半身麻酔なので、意識ははっきりしている。
手術は始まった。
産まれるまで麻酔科医は用無しとなり、世間話をし始めた。
「いやー、遅れちゃってごめんねー。ぼくの麻酔痛かった?痛くなかっただろう、ありがとう。ところで日本人なんだってね。日本のどこ出身?ぼくはね、日本はどこそこなら行ったことあるんだ」
てな具合に。

時間通りに事が進まないのは、インドネシアでは日常茶飯事。
しかし、手術に遅刻するってどうよ。
この件で、はー、帝王切開でよかったーとつくづく思った。
もし、自然分娩だったとしたら、陣痛が始まったと言って急に医者を呼んでも、医者が来る前に生まれてしまうんじゃないか?
そのほかの医者を呼ぶという緊急体制も、もしあるとしても信用できない。

麻酔科医の世間話が終わり、ほどなく10時5分にユメは誕生した。
真っ赤な体に細いお目目。
そんな生まれたての我が子と頬をくっつけあった。
そして麻酔科医の再登場、全身麻酔に切り替えられ、私は眠りについたのであった。
posted by ubor at 23:26| Comment(3) | TrackBack(0) | インドネシア出産記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月13日

付き添い

さてさて、引き続きインドネシア出産記を忘れんうちに書いておくとしよう。

一昨日も書いたが、私はお義母さんとともに入院した。
日本のように、付き添いはだめなんていわれる病院なんて無い。
家族全員プラス親戚一同で付き添い入院しているところもあった。
だいたいどの部屋も、ここが病院なのか、アパートの一室なのかを間違えそうなくらいごった返している。
付き添い用ベッドなんて無く、地べたで寝ている。
みんな家からお弁当を持ってきたりして、ちょっと入院を楽しんでいる雰囲気が無きにしも非ず。

なぜそんなに大勢でかというと、寂しい、かわいそうといういたって簡単な理由。
入院最後の夜は、私はユメと二人で大丈夫だからお義母さん帰っていいよと言ったのだが、友達がいなくてかわいそうだとひたすら言っていた。
結局だんなに説得してもらい、やっと自分の時間を持つことができた。
日本人は一人になりたいときってもんがあるんよな〜。

でも点滴をしている間は、絶対に付き添いはいたほうがいいと思う。
というのも、日本のようなローラーが付いていて自分で押してどこでも行ける点滴棒ではなく、ベッドに固定された点滴棒だからだ。
トイレに行きたくなったら、付き添いの人に点滴を棒からはずしてもらい、そのままいっしょにトイレへ行かなければならない。
いくら恥知らずの私でも、義母に用を足すところを見られるのは抵抗があった。
お義母さんは気を使って後ろを向いてくれていたが、音とにおいはズバリ直であって・・・

そういえばもう一つ付き添いがいて恥ずかしかったこと。
剃毛のとき。
日本でアオを産んだときは、手術前に処置室で注射やら点滴やらをしているときにその一環としてされたのだが、ユメを産んだインドネシアの病院では、前日の夜に病室に看護師さんが剃毛セットを持ってきてした。
これまたお義母さん、気を使って終始テレビを見続けてくれていた。
付き添いがいるというのも善し悪しだ。

他の部屋の家族や親戚ともども入院している人は、そんなのぜんぜんお構い無しなのだろうか?
寂しいのと恥ずかしいのなら恥ずかしいほうを取るんやろうか?
日本なら体を拭くときでさえ、「だんなさんは出ててくださいねー」と言われてたのになー。
この感覚の違いにはびっくりする。

しかし、今インドネシアでは猛威を振るっている鳥インフルエンザで入院した人の場合は、みんな付き添いしてんねやろか?
ほかの感染病とかの場合も。
多分してるな。
しかも入室禁止と書かれた部屋の外の廊下で寝起きしてるやろう。
私だってそれがだんなや子供だったらそうするはず。
それぐらいの付き添い根性なら持ってるぞ。
でもやっぱり廊下の地べたで寝ている自分は、正直想像したくない。
だって日本人だもんねー。
posted by ubor at 00:00| Comment(4) | TrackBack(0) | インドネシア出産記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月11日

病院食

ちょうど2年前の今日、私は入院した。
ユメを産むために。
ということで明日はユメの誕生日。
この機会に2年前を思い出し、しばらくインドネシアでの出産記を書いていこうと思う。


帝王切開のため、ユメを産む日は前から決まっていた。
産む前日の夕方から入院するように言われていたので、だんな、アオ、お義母さんとともにタクシーに乗って行った。
荷物は赤ちゃん用の服、ミルク、哺乳瓶、タオル、その他もろもろの私の日用品。
とにかく日本の産婦人科のように何から何まで用意しといてはくれないので、いるものは全部持参しなくてはならない。

で、あともう一つ荷物が。
途中でケンタッキーフライドチキン購入。
というのも病院のご飯を食べたくなかったから。
びっくりするような献立なのだ。
つわりがひどく、妊娠初期にもしばらく入院していたので、その辺は熟知済み。

病院食と言うと、栄養とかカロリーとか考えているイメージがあるが、とんでもない。
朝昼晩、3食ともに丼ばちにご飯てんこもり。
おかずは5種類ほどあり、そのうちの3,4種類は揚げ物。
ゆで卵でさえも揚げられていた。
普通にゆでたままで塩かけて食べたかったな・・・
おやつは10時と3時の2回。
10時はだいたいバナナ一房(一本じゃないよ)りんご二つ(二切れじゃないよ)みかん2、3個。
3時は春巻きや揚げパンが4つぐらい。
いくら子供を産んだからと言っても、胃はそこまで対応できない。

そして持ってくる時間が早すぎる。
朝食は5時、5時半には引き取りに来てしまう。
昼食は11時、夕食は5時。
同じく30分後には取りに来てしまう。

量の割りに味付けはけちっているのか、ほんのり塩気があるかってくらい。
申し訳ないがご飯は半分くらい食べ、おかずは一口ずつくらいしか食べなかった。

あー、もったいない・・・なんてことはないんですよ。
お義母さんが付き添い入院していたから、すべてお義母さんの胃の中に入っていったのだった。
お義母さんはうれしくてしかたない。
3食+2回のおやつ、自分が料理しなくてもいいしお皿洗いもしなくていい。
どうやら病院の食事メニューを考える人は、付き添いの人のことも考慮しているようだ。

そういえばアオを日本で産んだときも、私に限り病院食は同じものの繰り返しであまりいい記憶はない。
うちはイスラム教徒なので、豚無しの食事でと頼んだら、私だけ鶏のから揚げが何度も出てきた。
もちろん他の人は豚料理。
一人だけ手間をかけて申し訳ないと思う反面、またかと思っていたものだ。

私の人生でたった2度の入院経験に、美食と言う言葉は無いのであった。
posted by ubor at 14:50| Comment(4) | TrackBack(0) | インドネシア出産記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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